金谷首塚様
延元3年、新田義貞が三石城の支城である馬転山城を攻め落とし、この地で首実験を行った首を埋めたとされる。
首から上の病気にご利益がある。河原で卵型の滑らかな石を拾い、願い事や氏名・住所等を書いて供えるとよいという。
ちなみに、首塚様のすぐ北にある「宝生山金谷寺正光院」の本堂は、元はこの首塚様のある場所に建てられ、その後現在地に移転したといわれる。
南北朝時代の延元3年、南朝の新田貞義の大軍は、北朝の赤松円心が治める三石城の支城である馬転山城を攻め落城し、首実験の儀式後それをこの地に埋葬しました。
金谷の村人は哀れみ厚く弔い、碑を建てたといわれています。首から上の病気に霊験ありと今も参詣者が多い。
施設詳細
住所 | 備前市吉永町金谷192-5 |
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